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- 最終更新日: 2024年12月17日(火)
従う規範についての整理を試みる
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- reiji990
彼女のゆくところ次々と花が咲きいづる
日々の務めを注意深く果たし歩んでいく道に
難儀で思うようにいかない我らの人生も
彼女とともにあれば美しい筋道をたどるであろう
ホィティアー1
白銀リリィが愛するアンの小説の題辞より
問題意識
SNSの興盛により扇動活動の収益化が容易になったことなどが影響しているのだろう、昨今は感情的な反応を正当化するために都合よく規範めいたものを恣意的に用いた主張がよく拡散されるようになった。
体験や一部報道を拠り所に特定の属性を持つ人に対する差別的感情を露わにする人、国体や共同体の維持のための奉仕ないし犠牲を軽率に他者へ要求する人、「様々な」考えを併記し中点のポジションを取ろうとすることが穏当で善いと考える人、……。
彼らの主張は、彼らの認識はさておき、実質的に従う規範はなく、ただ徒党の拡大と派閥争いという社会的メカニズムのうねりによって生まれた泡沫でしかない。実社会に影響を与えて良いものではない。しかしながら、彼らの主張はSNS上の拡散にとどまらず実社会に影響を及ぼしている。実行力を持って様々な領域で実践されている。私の実生活においてもこのようなやりとりを仕掛けられる機会が時折あり、SNSを閉じたところで問題を見て見ぬ振りをすることすらできない状況となっている。
そして、私もしばしば彼らのようになる。つまり、扇動家の発信に影響され同調することがしばしばある。これまでは幸運にも(認知した、指摘された等の)反省の機会があり脱却できたが、このような状況を甘受するべきではなく、恒久的に彼らと同じ状態に陥らないようにしたい、またもし今その状態にあるのなら脱却したい、という思いは日々強くなる。
彼らのような振る舞いを否定しようとすると、移ろい易い刹那的感情を意思決定基準に使うことを避け、より普遍的な規範に従いたいと思うようになる。
他に、私が所属するとある組織(≒勤務先)の運営の問題がある。組織の決定事項には規範のない不透明な互酬的発想が深く食い込んでおり、組織の理念は遂行されず、問題は放置され、所属員に諦念が広がっている。成り行きとはいえ私も運営側に所属しているため、責務として組織の決定事項と互酬的発想を引き剥がそうと努めているが、当然ながら警戒され、失敗が続いている。この件については折りを見て退却するが、反省のためにも彼らの動機とメカニズムについての正しい理解は行いたいと思っている。
きっかけ
シン・ゴジラの、国体の維持を目的として軍事的合理性に最適化された判断を下す様子を現実の政府と比較してスピーディで良いものだとする人達、正気なのですか。
昨年、拡散されていた『シン・ゴジラ』の感想への批難をSNSに投稿した。この『シン・ゴジラ』の一部感想の問題点については以下記事が参考になる。
鎌倉に再上陸したゴジラは、神奈川県を蹂躙し、東京都との境界である多摩川に至りはじめて日本からの攻撃を受ける。なるほど首都侵入阻止やゴジラ迎撃のためにはそれも一つの手段だが、先述のとおり神奈川県は置き去りである。これはどういうことか。まさに「政治」が駆動すべき矛盾はなんら解消されず、放り出されたまま、軍事的合理性という論理がここではむき出しになる。2
政治家と官僚と自衛隊が「軍事的合理性という論理」のみに駆動されて何の障害物もない道を驀進する様は、優れた棋譜やゲームプレイ動画を鑑賞するような快楽を生む。この快楽に飲み込まれてしまったのか、一部の鑑賞者は作中の政治的決定が迅速に行われる様を現実に行われるべきものとして扱っていた。これは決して肯定できない。するべきではない。という考えの表明だった。
この投稿をきっかけに、知人に『アンティゴネー』を勧められた。
『アンティゴネー』の物語は、アンティゴネーの兄ポリュネイケースの死骸を巡って展開する。
アンティゴネーの叔父でもあるテーバイの王クレオンは、テーバイの敵として戦死したポリュネイケースの死骸を野に捨て埋葬を禁ずることで見せしめにする。アンティゴネーは「神々の定めた、文字には書かれぬ確固不動の法」に従い布令に背き、野に捨てられたポリュネイケースに砂を振りかけて葬る。この行為によりアンティゴネーは投獄される。
(尚、この「神々の定めた、文字には書かれぬ確固不動の法」について、これは信心の問題というよりは、世間が「リアリズム」という語で持て囃す限定的な合理的判断を、普遍的規範に従って否定したと捉えるべきだろう。)
アンティゴネーの問題意識は、彼の映画の感想に対しての私の問題意識に対応する。つまり、世間が「リアリズム」という語で持て囃す限定的な合理的判断のためにその他(ポリュネイケース、神奈川県民)を見捨てる決定に同調することを否定するということである。
『アンティゴネー』の、アンティゴネーがポリュネイケースに砂を振りかけるイメージの美しさ、現代の私が抱える問題意識にも通ずるテーマの普遍性に心惹かれ、以来ギリシャ悲劇を読むようになり、やがて滑るように木庭顕へ流れ着いた。
古代ギリシャの文芸
木庭顕『クリティック再建のために』によると、14世紀以降のヨーロッパではローマの法体系およびそのルーツとなった古代ギリシャの政治のあり方を学び、これを自分たちの現実に合わせた形で実践して社会を形成することを目指したらしい。
古代ギリシャにおける政治(社会の意思決定手続)はブレーキの役割を持つ。その政治の前提にはホメーロスとヘーシオドスがあった。一例を挙げると、『イーリアス』はトロイア戦争を通して悲惨さをもたらす人間社会のメカニズムを明晰に語る。集団が個人を侵害する行為を、行ってはならないこと、目の前で起きたら放ってはいけないこと、として共有する。叙事詩の出来事のイメージを共同体が共有し、論拠として引くことで、集団が個人を侵害する行為を意思決定させないメカニズムが働く。叙事詩が提示するイメージが作る思考様式によって集団の互酬的メカニズムを一旦止め、熟考、議論する余地を作る。
他に、叙事詩の提示するイメージを極大化したものとしてソフォクレス等の悲劇がある。これらはより強烈な、読めば後戻りできなくなるほどのイメージを提起する。これもモラルの基盤となり、政治を横から支える。
古代ギリシャの政治に使われた前提と操作は西洋型社会の政治の基盤となっている。そして、私の憎悪する互酬的な集団メカニズムを見通すものである。
クリティック
書名にもあるクリティックについて、書中最も短い説明としては「論拠の論拠を問う」とある。また、Amazonでサンプルとして参照できる「まえがき」でもある程度の説明がなされている。(かなりの文量となるため直接の引用は差し控える)
Amazon.co.jp: クリティック再建のために (講談社選書メチエ) 電子書籍: 木庭顕: Kindleストア
何らかの論拠とすることを目的としてホメーロスやヘーシオドスのテクストを引くにあたり、それは正しいテクストを参照しているのか、解釈は正しいのか、を問い詰めることが当たる。この作業は論拠の質を問うものである。政治の論拠に対してこの作業が行われることで論拠が一定の資格要件に服するようになり、前述した政治の機能が強固なものとなる。そうして古代ギリシャにデモクラシーが成立する。
私がこれを近似的にでも行うとすると、正しいテクストか、という点については当面邦訳を採用する時点で諦めることになるが、正しい解釈か、という点については知的営為を積み重ねてきた全うな学術書を引くという方法が取られる。
こうした手続きを経て、ホメーロスやヘーシオドス、他古典古代の文芸のテクストに込められた思索を適切な形で意識に内蔵し、規範を獲得することを考えている。
従う規範について
規範なき考えに精神を蝕まれることを拒むことを目指した時、古代ギリシャに政治を成立させた、あるいは横から支えた文芸から規範を学ぶ、ということを見出した。これを基底とする、「確固不動の」規範の獲得、種々の問題を紐解く参照先の構築を試みることとする。
最近は週2、3『イーリアス』を読むことを習慣にしている。『イーリアス』の後は『オデュッセイア』、『神統記』、『仕事と日』、『ヘラクレスの楯』、ギリシャ悲劇と続くことになる。
読書家でもない身にとってはこれだけでもかなりの文量なのだが、クリティックの問題があるため当然これで足りるわけではない。
古典古代の文芸のテクストのより適切な理解を目指すのであれば木庭の他テクストと、その研究対象および関連した研究者のテクストを読むことになる。その前段として、そもそも基礎学力が絶望的に不足しているため、中等教育相当の世界史などの勉強も始めている始末である。
200頁強の『クリティック再建のために』を一読するだけで8ヶ月掛かったことを考えると、学んだことを実践する前に寿命が尽きるようにも思えるが、これで天寿を全うするまで生きる目的が出来たのだと捉えてこれを「注意深く果たし歩んでいく」ことにする。