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- 最終更新日: 2024年8月2日(金)
川島雄三に関連するメモと思い出
(きららアニメの話も少しある)
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- reiji990
映画監督の川島雄三が割と好きなのですが、川島に言及する人が少ないので、川島界隈への加勢がてら個人的なメモや思い出を川島に絡めた形で編集して放流します。
ある程度前後が繋がるようにはしていますが、単なるメモの羅列から始まっていることもあり、特に全体を貫く論理展開のようなものはないです。
Table of Contents
きららアニメに対する批判と、川島雄三を知る以前の趣味
きららアニメの話から始めます。
2022年の夏にTVアニメ『けいおん!』を鑑賞しまして、この種のアニメ(a.k.a きららアニメ)を楽しめるようになったことに気付き、それ以来この種のアニメをよく観ています。
この種のアニメは時折、「中身のない」とか、「どこを楽しめばいいのか、分からない」といった評価を受けることがあります。
この種のアニメ批判をする人は、作品が時代や社会や生き方に対して何らかの反応を示していることを求めていることが多いように見えます。例えば以下の記事では、『イノセンス』を「美少女アニメ」が席巻する時代への批判として読んでいます。これは、「中身」のある作品を好む人たちの、その主張や作品の読みかたの分かりやすい例と言えると思います。
押井監督の『イノセンス』は、現在の「美少女アニメ」にみられる、クリエイターと観客(視聴者)における共犯関係を痛烈に批判している。 近未来に起こるガイノイド(女性のアンドロイド)の暴走殺傷事件の捜査が、『イノセンス』の中心的ストーリーであるが、この「ガイノイド」こそ、いわゆる美少女アニメのキャラクターを、アイロニカルに表現したものだといえよう。1
私も、彼らと同じようなことを考えていた時期があります。私も学生時代から就業後数年間は『けいおん!』のような作品を好まず、強いメッセージ性のある映像作品を好む質のオタクでした。
その時期に『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』と『マタンゴ』は100回以上は鑑賞しましたし、3桁には届かないにしても、実相寺昭雄やスタンリー・キューブリックの映像作品のいくつかも数十回は鑑賞していました。
何れもメッセージ性が高いとよく言われる作品・映像作家ですし、私自身台詞や演出からメッセージを読み取るために繰り返し鑑賞している、という意識でいました。 つまり、これらのフィクションから社会の問題点や生き方の当否などについて学び、現実に実践して自身の人生ないし自分の周囲の社会を豊かにしていこうという思いがありました。
一方で、この1年半程は、制作者がメッセージ性を押し出す作品をあまり重要視しなくなり、余暇には『けいおん!』や『ゆるキャン△』やそれに類似したアニメ作品を繰り返し鑑賞する生活を送っています。
どうしてこのような趣味の変化があったのかを今になって考えてみると、どうも2017年に川島雄三を知ったことがきっかけのひとつだったように思います。
川島雄三を知ったきっかけ
数年前まで、私は就職でとある地方にいました。
そこは文化の供給が東京に比べれば少なく、演奏会はその多くがベートーヴェンやモーツァルトの有名どころの組み合わせのプログラム、新作以外の映画の上映イベントといえば公民館で著作権切れ名画の廉価版DVDを鑑賞する会、という環境でした。
決してベト5や『風と共に去りぬ』が嫌いというわけではありませんが、多少拗らせたオタク気質の私としては、家に籠って情報収集するだけでは知ることのできない凝った作品を知る機会が欲しい思いが強くなる日々でした。
(ただし、これは消費者としての話——演奏会や上映会などコンテンツ消費の機会が東京より貧しく、そうしたイベントを通じて思わぬ作品に出会う機会が少ないという話——であり、自身がプレイヤーとして活動する分には、演劇の裏方ボランティアをやってみたり合唱に参加したりと随分面白い体験はできていましたし、舞台制作に多少関与する中で舞台演出の見方が変わったり、人との関わりの中でオペラやショスタコーヴィチの評価を新たにする機会を得られていたので、彼の地での生活も「これは、いい経験でした!」と断言できるものではあります。)
そんなある日、食堂のテレビで、同地出身の映画監督、川島雄三の特集番組を見かけました。それで川島を知り、川島のそれなりに有名でそれなりにニッチという点が興味をそそり、また折角だから住んでいる土地に縁深い監督の映画を観てみようと思い、『洲崎パラダイス 赤信号』のDVDを購入し鑑賞しました。
以来、彼の抒情性を排した乾いた作風に惹かれ、今も時々彼の作品を観ています。
好きな川島映画
川島雄三は戦後日本を代表する映画監督の一人のはずですが、川島を重要視する人は私の周りに全くおりませんし、SNS上でも言及する人は稀ですので、作品紹介もしていきます。
私の最も好きな川島映画は『しとやかな獣』です。
家族ぐるみで悪事を働きまくり経済的に成り上がった一家と、彼らの許に訪れる客人たち(一家の被害者、一家より役者が一枚上の悪女)を描いたブラックコメディです。
成功した作家が借りている公団住宅を一家が乗っ取って贅沢する様子や、階段の上り下りで登場人物間の上下関係を表現する演出は『パラサイト 半地下の家族』を彷彿とさせます。
予告はあまり捻りのないバストショットが主に使われていて、構図の妙を伝え切れていないのが歯がゆいのですが、1:42のカットなどに見られる抜けた構図をふんだんに使い、狭い公団住宅の一室内だけの劇で約1時間半全く飽きさせない映像演出は何度観ても痺れます。
湿り気の無い乾いた演出で一家が軽口を叩き続ける様子と、時折差し込まれる戦後の生活のリアルや戦中派の鬱屈を感じさせる台詞で生まれる緊張感の緩急の付け方も良いです。
川島雄三を取り巻く言葉
川島映画に対する批判
私の語彙、表現能力では川島映画について十分に記述することができず、私がなぜ川島映画が好きなのかを自身で知ること自体が難しいので、その手助けにするために川島映画が当時どのように受容されていたのか、その表現を確認してみます。
キネマ旬報に掲載されていた川島映画の当時の批評を見ていきます。原著まで確認できておらず、孫引きです……。
〔『相惚れトコトン同志』(一九五二年)〕流行歌や踊りの場面は全く不要であって映画がいつまでも、そんなもので商業価値を生もうとしているのは情けない。〔……〕もっと戦後の風俗と人心、それは新しいものばかりではなく、古いものも今なお生きていることに目をつけて、新しい庶民生活の風俗喜劇をつくりあげる野心があってよいはずだ。
〔『あした来る人』(一九五五年)〕もちろん人物設定はそれに相応に疑ったもので、〔……〕すべて一風変わった人物像は〔……〕風俗的に面白い人物設定だが、新聞小説の魔術にひっかかった失敗作というほかない。
〔『花影』(一九六一年)〕これは夜の銀座裏という特殊地帯をバックとした享楽ムードの風俗映画を出ない作になっているのである。
以上の批評には、川島映画の特徴を表現する批評用語として「風俗」「風俗映画」という言葉が繰り返し言及されている2
ここで「風俗映画」と言う言葉が出てきました。(語感から想像はできますが)私の手元の辞書には載っていない言葉でこのままでは不鮮明なので、これを確認しつつ、川島映画の受け取られ方、また川島雄三が自身をどのように捉えていたかを書いていきます。
「風俗映画」
キネマ旬報で『花影』を批評していた飯田心美は、「風俗映画」の定義を「その時代々々の風俗人情をうつした作品の総称」としています。3
語感から想像した通りの説明ではありますが、これだけでは少し短いので、近時の評論家が「風俗映画」という言葉で括って川島映画の特徴を言語化したもので補足します。
「人物の外面的な奇妙さに重きを置く演出、社会の表面に現れた様々な社会現象について語るナレーション」で作られた映画4、より技術的な側面から説明すれば「クローズ・アップよりロング・ショットやバスト・ショットを多用する」演出と「映画の筋や人物の心理を語るのではなく、数字や名称を羅列する」ナレーションで作られた映画5、と書けばもう少し分かりやすいでしょうか。
実際の映像作品ではどうなっているのかを確認してみます。『銀座二十四帖』の冒頭を日活が公開していますので共有します。観て欲しい、というより聴いて欲しいのはOPクレジット終了後のナレーション(2:23〜)です。
本編を観ていない方でも、冒頭のナレーションが「映画の筋や人物の心理」をまるで語っていないことはお分かりいただけるかと思います。『銀座二十四帖』は特に際立った例ですが、川島映画は他作品も同様の傾向があります。
川島映画には人物の心理や筋とは関係のないナレーションが頻繁に用いられる。(中略)さらに『銀座二十四帖』の冒頭では、銀座で花屋を運営する三室(三橋達也)が花市場に寄り、開店準備をする道筋をたどりながら、銀座を地誌学的に説くナレーションが流れる。各々のナレーションは人物の奥深い内面に触れる代わりに、社会の表面に現れた様々な社会現象について語る。(中略)すなわち映画に大勢登場する奇妙で滑稽な人物像は、複雑な内面と思想を持つ人間ではなく、現代社会の断面、ひいては社会と風俗のカリカチュアとして提示されている。6
ナレーションや演出が物語の補強として使われていないために、川島映画の中には、物語がやや希薄で時に背景の街並みや風俗が物語を超えてしまっているものがあります。それは川島も認識していました。
風俗映画というか、当時の銀座を記録するのが主で、ストーリーは従になった作品です。7
川島は自作が「風俗映画」と(多く否定的な文脈で)称されていることを認識しつつ8、それでも「風俗映画」と呼ばれるような映画を発表し続けました。なぜ、「風俗映画」と称されるような制作上の特徴を川島は志向し続けたのでしょうか。
藤本義一が、織田作之助の『清楚』が世間(文壇?)から非難されていた時に川島が擁護したことを語っています。これを読むと、その答えが伺えます。
で、世間では、織田作は変わったと、織田作というのは、戦局のなかで、どんどん自分の魂を売りさばいていく作家じゃないかと言われている時に、「いや、そうじゃない。こういう時にこれを書いて、これを基礎にして、一応、敵の目を誤魔化しておいて、次の出版統制の外れた暁にはまた素晴らしいもの書くよ」と。だから、"日本軽佻派"を名のってふたりで意気投合して、織田作にシナリオを書かせるんです。9
『清楚』も、新聞批評とか文学史上では、織田作の作品としては、転向して自分を失って、世の中におもねって書いた作品であるという酷評を受けた。それを川島監督は、そうじゃないと。こういう節操を欠く部分、というよりも自分の思想を変えられていく部分をもつ時代のなかに生まれてきているんだから、しかたがないというんですね。10
これに対する具珉婀の見解です。
「出版統制の外れ」る時代の到来を予示する川島雄三の発言には、思想に対して彼が抱いていた不信感が如実に現れている。人物の外面的な奇妙さに重きを置く演出、社会の表面に現れた様々な社会現象について語るナレーションは、曖昧な思想ではなく、今という具体的で直接的な感覚を描くために川島雄三が用いた手法だったのである11。
「思想を変えられていく」感覚というのは、2024年を生きる私たちも体感しているものだと思います。十数年ほど前までは当たり前のように使われていた表現が今では憚られるようになったり、公衆衛生に関する常識が突然変わったり、その常識が急速に転回したり……。
それぞれの世間の思想の変化や個別の表現についての賛否をここには書きませんが、私自身、このような環境にいることで、川島のように「思想」や「ストーリー」といった観念に安易に迎合せず、現在目の前にあるものの具体性を追求することへの関心が強くなった実感があります。
例えば、私がよく楽しんでいる『けいおん!』や『ゆるキャン△』も、「ストーリーは従」で、主に高校生活や趣味の具体性を追求した作品です。 これらの作品の物語は、視聴者のストレス要因を極度に排除することに特化しており、人物間の軋轢や葛藤といった、物語上のカタルシスを生む(と同時にストレスにもなる)ものは殆ど描写されません。 平沢唯は初めてのギター購入イベントにおいて、高級ギターを琴吹紬のコネによってあっさり格安で購入していますし、大垣千明たちの山中湖キャンプでのピンチも、他のキャンプ客の助けであっさりと解消されます。 また、軋轢らしいものも、2作品のシリーズを通しても『けいおん!』11話の律と澪の間の一件だけですが、これも律の体調不良を原因とすることで、両者や周辺の関係に軋轢による不可逆的変化が起きないようにしていました。 これらの作品の「主」はストーリーではなく、キャラクターの可愛らしさや軽妙な会話、高校生活や楽器の練習やキャンプの風景のリアルさ、優れた音響や音楽になります。これは川島が『銀座二十四帖』において「ストーリー」を「従」にして「銀座を記録する」ことを「主」としたことに似ます。
きららアニメと川島映画に共通項を見出してから、私がきららアニメを楽しめるようになったのは、川島映画でこの種の映像作品の楽しみ方が分かったからではないか、と思うようになりました。
更に脱線してアニメ関連の話を続けます。
『けいおん!』を観始めた頃から、コンテンツツーリズムを楽しむことが増えました。 昨年は西宮市(『涼宮ハルヒの憂鬱』)を歩き、高尾山(『ヤマノススメ』)に登り、江ノ島(『ぼっち・ざ・ろっく!』)に行きました。今年初めには久喜市鷲宮(『らき☆すた』)を歩き、近く『けいおん!』観光を実行するべく準備を進めています。 (『ゆるキャン△』のモデル地は車移動を前提とする場所が多く実施が難しいところです……)
普段の食事は割合自炊しているのですが、そのレパートリーの一部は『ゆるキャン△』に影響されています。 1期5話で志摩リンが作るスープパスタは簡単に作れますし、家で余らせがちな牛乳の消費方法として有用なので愛用しています。
こうした、さながら『ポケモン GO』上でポケモンをゲットするために遠出をする人たちのように、現実での行為を通して肉体的にアニメを消費していくようになったのも、川島映画の具体性を追求した作風に影響された結果と言えないこともなくもなくもないかもしれません。




「日本軽佻派」
前項で、川島と織田作之助が「日本軽佻派」を名乗っていたことを藤本が語っていました。この言葉についても確認していきます。
「日本軽佻派」と言う言葉は有難いことに川島による解説がありますので、それを引用します。
日本軽佻派——戦争末期の何とも云われぬもっともらしい雰囲気に反発を感じ、有志語らって(と云っても二三人に過ぎぬが)ひそかに逆説的な「日本軽佻派」の名乗りをあげ、そのことをたわむれに故人にはかったのに対し、讃意を表して来た。12
織田は「日本軽佻派」について記述する際ジンメルの言葉に触れていました。 ジンメルについて、川島と織田の間には共通の認識があったようです。 ジンメルについての川島の解説から、「軽佻」という言葉には「退屈」を「避け」て且つ「人生に堪える」ための選択、というニュアンスが込められていることが窺えます。
ジンメルの言——ゲオルク・ジンメルの日記抄の中の言葉「ある深さを持つ人間にとって人生に堪えるには一般に一つの可能性しか存しない。即ちある程度の浅薄ということである。」「大多敷の人々にとっては軽佻か退屈か何れか一方に陥ることなくして他方を避けることは全く不可能である」等々。13
川島の代表作、『幕末太陽傳』の話をします。
本作の主人公の左平次は、「やれ攘夷の勤王のと騒ぎ廻って」相模屋に入り浸っている高杉晋作ら奇兵隊の、その「思想」を重視する生き方には賛否の意を示さず、来る新時代への期待も旧時代への郷愁もなくただ秩序が崩壊し凋落し続ける「物騒な世の中」である幕末で、自身の肺の病の養生のことだけを考えて金稼ぎに奔走し、最後はアメリカに渡るために相模屋のしがらみを捨てて逃避します。ちなみに、川島が語る『幕末太陽傳』のテーマは「積極的な逃避」です。14
左平次の、世間の「もっともらしい雰囲気」に関与せずに個人の具体的な事情のためだけに終始行動する姿は、「日本軽佻派」の精神を分かりやすく体現したものだと思います。
今村昌平と川島のやり取りを紹介します。 この、良い映画を撮るといった観念よりも生活を優先することやそれを後輩に言える川島の価値観はどことなく左平次的です。
彼には、名作も傑作ももちろんあるけれども、つまらぬプログラムピクチュアもたくさんある。松竹時代に「何故こんなひどい映画撮るんですか」という私の問いに、一瞬眼ばたきもせずに私の顔をみて「……生活のためです」と答えたことがあります。15
「日本軽佻派」の説明の、「戦争」の「雰囲気」への「反発」と聞くと、『細雪』などの戦前・戦中に発表された世の流れから距離を置いた創作物のことや、太宰治が戦時中に発表した作品内で戦争賛美の表現を徹底して避けていたという話を思い出します。
今年に入ってから、SNS上で直近の震災や事故に関する流言飛語や考えなしの反応が撒き散らされており、げんなりしています(否、これは今年に限らずいつものことですね……)。 この種の投稿のオリジナルは見ずに済んでいるのですが、それを諌める人たちの投稿がやたらと「おすすめ」されてくるので結局問題の投稿の内容が目に入ってしまうんですよね。そしてその指摘も必ずしも適切ではないという無間地獄。 「軽く死ねますね」。
当事者でないのであれば(の他にも、いくつかの留保を設けることにはなるのでしょうが)、こうした「節操を欠」いた「もっともらしい雰囲気」からは、左平次に倣って逃げるに限ります。この記事の編集作業もSNSから距離を置くための方策の一つです。こういうちまちました作業をしていると俗世から離れて無心になれて良いです。
最近のこと
最近はギリシャ悲劇などを不慣れな手つきで読んでいます。
読み始めたきっかけは別にありますが、今読んでいる目的は、近視眼的に眼前の事態に反応することを止めて、現実のあるべき姿を捉えて大局的な視野で物事を判断できるようになり、個人的な閉塞感を打開することです。 そのために、政治の原点の姿を端的なイメージで伝えるギリシャ悲劇や、法の原理を説くローマ喜劇や、それらの副読本的書籍をのろのろと読んでいます。 最近忙しくなってきたので、果たして今年中にまとまった量が読めるのかは分かりませんが……。
ですので、ここまで書いてきたことも既に過去のことで、最近は「思想」や「ストーリー」から距離を置くことから転向し始めていることを最後に書いて終わります。
Footnotes
具珉婀, 「思想からの積極的逃避」『川島雄三は二度生まれる』, pp.34-35, 水声社, 2018
書中に記載の出典(未確認):
滋野辰彦「日本映画批評『相惚れトコトン同志』」、『キネマ旬報』一九五二年五月下旬号、六一頁。
登川直「日本映画批評『あした来る人』」、『キネマ旬報』一九五五年六月下旬号、九五頁。
飯田心美「日本映画批評『花影』」、『キネマ旬報』一九六二年一月上旬号、八六頁。
佐藤勝治「日本映画批評『赤信号』」、「キネマ旬報』一九五六年秋・特別号、七八項。 ↩同上, p.37
書中に記載の出典(未確認):
飯田心美「日本映画と風俗描写」、『映画評論』一九五一年七月号、四〇頁。 ↩同上, p.45 ↩
カワシマクラブ 編,「はじめに」『偽善への挑戦 映画監督 川島雄三』, p.21, ワイズ出版, 2018 ↩
具・前掲, p.41 ↩
川島雄三, 「自作を語る 銀座二十四帖」『花に嵐の映画もあるぞ』, p.326, ワイズ出版, 2014 ↩
川島雄三, 「自作を語る 東京マダムと大阪夫人」『花に嵐の映画もあるぞ』, pp.322-323, ワイズ出版, 2014 ↩
藤本義一,「師匠・川島雄三を語る」『鬼の詩 / 生き急ぎの記 藤本義一傑作選』, p.279, 河出書房新社, 2013 ↩
同上, pp.279-280 ↩
具・前掲, p.45 ↩
川島雄三 序・註, 「織田作之助からの手紙」『監督川島雄三 松竹時代』, p.187, ワイズ出版, 2014
尚、旧字体は新字体に,旧仮名は新仮名にあらためた。 ↩同上, p.187
ジンメルの言葉の出典は、"Georg Simmel, Fragmente und Aufsätze : Aus dem Nachlaß und Veröffentlichungen der letzten Jahre, münchen, Drei masken Verlag, 1923"
入手しやすい訳での該当箇所は以下。(川島の引用する訳は未詳。)
"清水幾太郎 訳,「日々の断想 60」『愛の断想 日々の断想』, p.80, 岩波書店, 1980"
"同「日々の断想 124」, p.116" ↩川島雄三, 「監督の言葉 『幕末太陽傳』」『花に嵐の映画もあるぞ』, p.22, ワイズ出版, 2014 ↩
今村昌平, 「下北半島に建つ先輩監督川島雄三の碑」『遥かなる日本人』, p.41, 岩波書店, 1996 ↩